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2021年11月10日水曜日
紅葉@湖南三山のお寺:常楽寺と長寿寺
常楽寺
<縁起> (パンフレットより) 常楽寺は、和銅年間中 (708~715)
元明天皇の勅命を受けた良弁僧正が開基した阿星寺(あせいじ)五千坊の一つです。阿星山(あぼしやま)焼失のとき阿星寺本尊千手観音像が常楽寺に飛翔して常楽寺の本尊となりました。また、聖武天皇が離宮を造営した紫香楽宮
(742~745)
の鬼門鎮護として栄えたと伝えられます。また、鎌倉時代には亀山天皇の勅命による雨乞秘法を行うなど、天皇の帰依を受け鎮護国家の道場とされたと伝えられます。延暦年間(782~805)
天台宗に改められました。 延文5年(1360)
神火(落雷)により堂舎はすべて焼失してしまいました。同年、僧侶観慶らによって建立され、その後三重塔、山門が建立されました。
文禄元年(1592)
には、豊臣秀吉が伏見城を築いた時、城門の一つとして山門は移築されてしまい、後に徳川家康によってその山門は解体されて三井寺園城寺に寄進されました。
江戸時代には庶民観音巡礼の札所として、近江西国観音霊場一番となり庶民信仰されてきました。
現在、常楽寺には国宝の本堂と国宝の三重塔が現存しています。 平成16年(2004)
10月1日石部町と甲西町が合併し、湖南市が誕生しました。翌年、湖南市にある古刹で国宝を有する常楽寺、長寿寺と善水寺の三か寺で「湖南三山」を立ち上げました。
長寿寺
<創建>(パンフレットより)
聖武天皇の天平年中(729〜748)良弁僧正によって建立された勅願寺であり、現在国宝に指定されている。
その昔、聖武天皇が大仏造立のため紫香楽宮に遷都された折、世継ぎの誕生を良弁に祈請せしめたところ、良弁は阿星山中の瀑布に籠って祈り、間もなく皇女の降誕をみるに至った。そこで天皇は、皇女の生誕にちなむ子安地蔵尊を行基菩薩に刻ませて、紫香楽宮の鬼門に当たる東寺に七堂伽藍・廿四坊の寺を建
立し本尊とした。そして皇女の長寿を願い長寿寺という寺号を授けたと伝えられている。
本堂は貞観年中(859~877)に焼失、同年間に復元され現在に至る。
中世には源頼朝、足利尊氏らの祈願所となったが、戦国期には織田信長の手により三重塔は安土城へ、楼門は栗東市の蓮台寺へ移築され主要な建物を失った。
現在、国宝をの本堂、重文の弁天堂、同じく重文の丈六阿弥陀如来座像、釈迦如来座像、阿弥陀如来座像、十六羅漢図などが残されている。
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