12月7日
【日程概要】
4:30 起床
5:10 ホテルを出発
5:30~7:00 アンコールワットにて日の出撮影
7:30 ホテルで朝食 荷物整理
9:30 ホテルチェックアウト
9:45~10:30 オールドマーケットにて買い物と撮影
10:30~11:40 昼食
13:40 シェムリアップ空港発
14:40 ホーチミン空港着
15:15~18:00 市内観光
大聖堂、河畔、ドンコイ通り
18:00 ベトナム料理の夕食
19:30~21:30 サイゴン・ロイヤル・ホテルにて休憩、荷物整理
◆アンコールワットの日の出撮影3回目
もう、勢いでこの朝も4時半に起床し、みなさんとアンコールワットに向かった。朝日が今度こそと思ったが、残念ながら雲が厚く、いい具合には上がらなかった。同じ聖池(北側)前での撮影は切り上げ、経蔵内での撮影を試みた。窓をのぞくと中央祠堂がちょうど入るようになっている。しかし、日が昇るまでは経堂内は暗く、思ったような絵にはならない。やがて、厚かった雲が少しきれて、朝焼けの様相を見せてくれた。いろいろホワイトバランスを調整して試してみた。三日目もやっぱり試行錯誤。雲はいろいろ面白い景色をつくってくれることを発見した。色の出し方も少し分かった気がする。
撮影を終わって入り口にもどると、アンコールワット国際ハーフマラソン & ウォーク 2008(2008's Angkor Wat International Half Marathon)が行われていた。 ハーフマラソン 、21 km 車椅子、10 km 男子/女子 、5 km 女子、3 km ファミリー の5種類のレースがあり、ちょうど最後の3㎞ファミリーのレースがスタートしようとしていた。有森裕子さんもきているらしい。昨日は自転車のレースが行われていた。
これでアンコールワットの撮影は終了した。シャッターを何回切ったことだろう。堪能した。こんなに集中して写真を撮ったのは初めての経験だ。限界に挑戦したという感じがある。
朝食の後は、荷物整理。そこへ、同行者の一人が駆け込んできて、隣の部屋のセイフティ・ボックスが開かないとのこと。しっかりメモしてある番号を入れてみるが、何回やってもエラー。 どうやらパスワードを押し間違えたらしい。仕方ないので、フロントに電話。しばらくして、係の人がやってきた。何やらパソコンの端末のようなものを持っている。これがマスターキーの役割をするらしい。慣れた手つきで難なく扉を開けてくれた。よくあることのようだ。
◆オールドマーケット
オールドマーケットに立ち寄った。想像していたよりもこじんまりとして、こぎれいな市場だった。ちょっとがっかり。はずれの店で、木彫りのレリーフと、ネクタイを購入した。集合場所近くの店で、カンボジアンコーヒー豆を購入した。売られているものはそれほど代わり映えがしなかった。アンコール遺跡に因む小物が目立つ。石のレリーフは魅力的だが、持ち帰るには重すぎる。いずれにしても、この国のおみやげ物はすべて米ドル表記だ。1ドル≒4000リエルという計算なので、リエルで表記すると、とても大きな桁になってしまう。観光客のほとんどは、リエルには両替せずに米ドルで生活をしている。おつりはリエルでくれることもあるが、1ドルを超える場合は、ドルでおつりがもらえるので、全くリエルを使うことなく過ごす旅行者もいることだろう。
空港で少し待ち時間があった。リエルを持っている人は何とか使い切ろうと安いものをさがしていた。何かお菓子をおみやげに買おうと思ったが、チョコレート類はどうやら国産のものではなさそうだった。クッキーもどうも違うようだった。唯一、オールドマーケットでも販売されていた、「伝統銘菓ノム・トム・ムーン」というお菓子は、間違いなくカンボジア製だったので、購入した。
◆ホーチミン
2年ぶり、3度目のホーチミン。空港は相変わらず出口に大勢の出迎えの人が待っている。なぜ、こんなにたくさんの人達がいるのだろうと不思議に思う。
ホーチミンは、シェムリアップに比べると湿度が高く、熱帯特有のむっとした空気だった。カンボジアは自転車が多かったが、ベトナムはバイクばかりが目立つ。特に、今日は日曜日なので、中高生が休みなのでその姿がなく、家族連れがバイクを乗り回している感じだ。4人乗りの人達もいる。一同、そのバイクの多さに感嘆の声を上げる。
大聖堂、河畔、ドンコイ通りを観光。撮影のチャンスはあまりなかった。午後なので、光が面白くない。ドンコイ通りでは、買い物。ホーチミンは付け足しのような感じであった。
夕食は定番のベトナム料理。パクチーが使われているので、口に合わない人も多い。わたしには美味しく感じられたのだが。みなさん疲れているのか、食べ残しが多かった。
最後は、荷物整理と休養のため、ミニホテルへ。サイゴン・ロイヤル・ホテルという、名前だけは立派なホテル。部屋の作りは悪くはなかったが、エアコンのリモコンの電池が切れていて、外のカラオケがやかましいのが問題だった。一応シャワーを浴びて、パッキングをして、しばし歓談。旅のミニ反省会をした。
12月8日0:10 ホーチミン空港発
【日程概要】
7:00 関空着
10:30 彦根駅着
◆ハプニング
空港でまたまたうれしいハプニング。知り合いとの再会。8番ゲート前で待っていたが、みなさんの集まっている近くにいくと、若い女性2人のそばに一つ空席が。何気なく座ると、その2人の遠い側の女性と目が合う。似ているなと思いつつ、しばらく別の方を向いていると、彼女の方から声をかけてきた。やっぱりそうだった。2人でバンコクへ行こうとしていたが、空港のデモ隊占拠のあおりを受けて、やむを得ず目的地を変更して、ホーチミン観光になったそうだ。機内でまた話をしましょうと、搭乗。
◆終わりに
さて、東南アジアはやはり乾期の旅がベスト。しかし、帰ってからとても寒く感じた。日本の気候に身体がなれるまで、疲れが回復するのとあわせて、一週間かかった。この前のアメリカ旅行よりも疲れた。時差はたいしたことないのだが、今回は早朝からの撮影が3日続いたので、それで体力を消耗したのだろう。それでも、充実の撮影旅行だった。行ってよかった。
今回、10人のすてきなメンバーに恵まれ、とても楽しい旅行になった。添乗員のYさんにもとてもお世話になった。ガイドもいい人達だった。みなさん本当にありがとうございました。
(完)
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2008年12月8日月曜日
2008年12月6日土曜日
アンコール遺跡の撮影旅行 3日目
12月6日
【日程概要】
4:30 起床
5:20 ホテルを出発
5:30~6:45 アンコールワットで再び日の出撮影
7:00 ホテルで朝食
9:30~10:50 トンレサップ湖 水上生活の人々 船上より撮影
10:50~11:50 カンボジア料理の昼食
12:15~14:00 タ・プロム寺院 撮影
バス移動
14:40~15:40 バンテアイ・スレー寺 撮影
16:00~16:30 農村撮影
16:50~17:40 プラエ・ループ寺院 夕景撮影
◆アンコールワット日の出撮影2回目
昨日は、寝不足がたたって疲労の局地に達していたので、今朝は起きられるかどうか不安だたが、冷房をかけっぱなしにしたら、よく眠れて、回復した。一人を除いて、他のメンバーも参加。みなさん元気なので驚きだ。
残念ながら、今日も日の出のコンディションはあまり良くなかった。
さて、ガイドのBun Thoeun(ブン・トウーン)さんの話。彼は30歳、10歳年下の奥さんがいる。奥さんはまだ学生。給料は6万円。敬語の使い方がややおかしいが、ユーモアもあり、好感のもてるガイド。
辺りはバイクの洪水。大体125ccが主流。タイ・ホンダ製が人気で、15万円~20万円。中国製やベトナム製は5万円~10万円ぐらいで買えるが、壊れやすいので誰も買いたがらないそうだ。普通の労働者の給料は1万円~2万円ぐらいなので、これは相当高価な買い物になる。
◆トンレサップ湖
トンレサップ湖は、広い。東南アジア一の湖。乾期は琵琶湖の4倍、約3000平方キロメートル、雨期には10倍の広さ、約9000平方キロメートルになる。水深は、13~15mで、雨期にはさらに2m深くなる。水上生活を送る住民は60万人で、そのうち約半数が、ベトナムからの難民だそうだ。湖には約300種類の淡水魚がおり、水上生活者の生活の糧は漁業。しかし、乱獲と汚染で魚の数や種類は減少傾向だそうだ。電気や爆薬で魚をとることもあるそうだ。クルーズは、約1時間半で水上家屋や小学校、商店の浮かぶ水路を通り、湖の中へ行き、途中で養魚場のある土産物店で休憩し、戻ってくる。15ドル。
◆タ・プロム寺院
昼食後、タ・プロム寺院での撮影。ガジュマロの成長がすごい。至る所に根を張っている。まるで、遺跡を食べているようだ。樹齢は350年~400年だという。そういえば、人類が滅亡したら、現代の都市もあっというまに草原に戻ってしまうというシュミレーションをテレビで最近見た。石造りのアンコールだからまだ現状で留まっているが、現代の建物はもっともろいそうだ。まず樹脂が劣化し、ガラスが割れ、コンクリートが劣化し崩壊。一部が崩れればバランスを崩し次々と崩壊していくのだそうだ。100年たたずに、草原か森に変化してしまうだろう。
タ・プロム寺院は、崩壊箇所が多く、痛みが激しい。しかし、その影に一つ美人(デバター像)をみつけた。
◆バンテアイ・スレイ寺院
その後、バスで移動し、次はバンテアイ・スレイ寺院。ここの彫刻は精緻である。まるで、象牙の透かし彫りのようにキメが細かい。10世紀の建立。
「農村撮影」は、道路沿いの契約してある土産物店を経営する農家だった。子どもたちも撮影に応じてくれた。本当のところは、辺りを散策し、自由に撮影したかったが、そういう雰囲気ではなかった。
◆夕景撮影
夕景撮影は、プラエ・ループ寺院。夕日そのものは拝めず。
とても疲れた。
夕食は、タイ料理店。割とあっさりした、タイスキだった。最後のおじやも美味しくいただけた。ここでハプニング。夫婦で参加のSさんが、めでたくバースディということで、主催の旅行社からケーキがプレゼントされた。一同でHAPPY BIRTHDAYの歌を歌い、お祝いをした。ケーキのお裾分け。なかなか美味しいケーキだった。
【日程概要】
4:30 起床
5:20 ホテルを出発
5:30~6:45 アンコールワットで再び日の出撮影
7:00 ホテルで朝食
9:30~10:50 トンレサップ湖 水上生活の人々 船上より撮影
10:50~11:50 カンボジア料理の昼食
12:15~14:00 タ・プロム寺院 撮影
バス移動
14:40~15:40 バンテアイ・スレー寺 撮影
16:00~16:30 農村撮影
16:50~17:40 プラエ・ループ寺院 夕景撮影
◆アンコールワット日の出撮影2回目
昨日は、寝不足がたたって疲労の局地に達していたので、今朝は起きられるかどうか不安だたが、冷房をかけっぱなしにしたら、よく眠れて、回復した。一人を除いて、他のメンバーも参加。みなさん元気なので驚きだ。
残念ながら、今日も日の出のコンディションはあまり良くなかった。
さて、ガイドのBun Thoeun(ブン・トウーン)さんの話。彼は30歳、10歳年下の奥さんがいる。奥さんはまだ学生。給料は6万円。敬語の使い方がややおかしいが、ユーモアもあり、好感のもてるガイド。
辺りはバイクの洪水。大体125ccが主流。タイ・ホンダ製が人気で、15万円~20万円。中国製やベトナム製は5万円~10万円ぐらいで買えるが、壊れやすいので誰も買いたがらないそうだ。普通の労働者の給料は1万円~2万円ぐらいなので、これは相当高価な買い物になる。
◆トンレサップ湖
トンレサップ湖は、広い。東南アジア一の湖。乾期は琵琶湖の4倍、約3000平方キロメートル、雨期には10倍の広さ、約9000平方キロメートルになる。水深は、13~15mで、雨期にはさらに2m深くなる。水上生活を送る住民は60万人で、そのうち約半数が、ベトナムからの難民だそうだ。湖には約300種類の淡水魚がおり、水上生活者の生活の糧は漁業。しかし、乱獲と汚染で魚の数や種類は減少傾向だそうだ。電気や爆薬で魚をとることもあるそうだ。クルーズは、約1時間半で水上家屋や小学校、商店の浮かぶ水路を通り、湖の中へ行き、途中で養魚場のある土産物店で休憩し、戻ってくる。15ドル。
◆タ・プロム寺院
昼食後、タ・プロム寺院での撮影。ガジュマロの成長がすごい。至る所に根を張っている。まるで、遺跡を食べているようだ。樹齢は350年~400年だという。そういえば、人類が滅亡したら、現代の都市もあっというまに草原に戻ってしまうというシュミレーションをテレビで最近見た。石造りのアンコールだからまだ現状で留まっているが、現代の建物はもっともろいそうだ。まず樹脂が劣化し、ガラスが割れ、コンクリートが劣化し崩壊。一部が崩れればバランスを崩し次々と崩壊していくのだそうだ。100年たたずに、草原か森に変化してしまうだろう。
タ・プロム寺院は、崩壊箇所が多く、痛みが激しい。しかし、その影に一つ美人(デバター像)をみつけた。
◆バンテアイ・スレイ寺院
その後、バスで移動し、次はバンテアイ・スレイ寺院。ここの彫刻は精緻である。まるで、象牙の透かし彫りのようにキメが細かい。10世紀の建立。
「農村撮影」は、道路沿いの契約してある土産物店を経営する農家だった。子どもたちも撮影に応じてくれた。本当のところは、辺りを散策し、自由に撮影したかったが、そういう雰囲気ではなかった。
◆夕景撮影
夕景撮影は、プラエ・ループ寺院。夕日そのものは拝めず。
とても疲れた。
夕食は、タイ料理店。割とあっさりした、タイスキだった。最後のおじやも美味しくいただけた。ここでハプニング。夫婦で参加のSさんが、めでたくバースディということで、主催の旅行社からケーキがプレゼントされた。一同でHAPPY BIRTHDAYの歌を歌い、お祝いをした。ケーキのお裾分け。なかなか美味しいケーキだった。
2008年12月5日金曜日
Angkor 遺跡の撮影旅行 1日目と2日目
12月4日(木)
朝4時過ぎ起床。6時に集合場所へ。思ったほど寒くなく、夜が明けるとともに快晴。10人のメンバーはみんな元気。
ベトナム航空便は、比較的空いていて、後方に陣取った我が一行は、ゆったりと席に着けた。しかし、夕食の選択はできなかった。ちょっと悔しい思い。それに、座席の前に備え付けのモニターは機能せず、映画は天井つり下げの小さなテレビで見るしかなかった。映画は、ベトナム映画で何かせつないストーリーのようだったが、言葉が理解できず、ほとんど分からなかった。ホーチミンでのトランジットはスムーズに行った。それでも、トランジットの受付カウンターには20~30人の欧米人を中心とした列ができていた。ひょっとしたら、バンコクの影響か?
さて、いよいよカンボジア。午後4時20分到着。シェムリアップ国際空港は、こじんまりとした小さな空港。ゲートは2つあるが、いずれにしても飛行機はタラップで乗り降りするタイプ。ロンセストンの空港に似ていた。
気温は、31℃。天候は晴れ。蒸し暑さは感じなかった。税関には係官がおらず、フリーパス。人手不足か。ホテルには、20分ほどで到着。この日は、6時30分にホテルにて夕食。明日に備えて、就寝。
12月5日(金)
【日程概要】
4:40 起床
5:40~6:30 日の出撮影
7:30 朝食(ホテル)
9:30~11:30 アンコールワット撮影
12:00 昼食
13:00~14:30 休憩
14:50~16:00 アンコールトム撮影
16:30~18:30 プノン・バケン(丘の上の寺)夕景撮影
19:00~21:00 夕食(舞踊)
◆日の出撮影(アンコールワット)
午前4:30起床。着替えて、5:30ホテルを出発。バスで10分ぐらいのところに、アンコール遺跡の入場券販売所があり、そこで、顔写真を撮影され、数分後3日間有効のパスが作られた。40ドル。我々にとってはそんなものかと思える値段だが、当地では結構な収入に違いない。
暗闇の中、アンコールワット到着。橋の入り口では、ずらっと並んだ制服の係員が、入場パスを厳重にチェックしている。橋上には明かりがまったくない。橋の半分は修復されて平らだが、左側は荒れたまま。それよりも、水に落ちればたいへんだ。懐中電灯を持参しなかったことを後悔。なんとか、地雷(牛糞)を避けながら、撮影場所の左側聖池前へ到着。すでに100人以上の人が集まっている。
撮影を開始した。設定をいろいろ変えながらだが、だいたい今まで夜明けを撮影したことがなかったので、相当枚数試行錯誤した。三脚は持参しなかった。一脚では両手が使えず、長時間露光はできない。隣に陣取ったマレーシアの若者はα200でフラッシュをつけ、マニュアル(M)で、撮って、明るい写真を楽しんでいた。休暇で、今日が最後だそうだ。あまり良い朝日はなかったそうだ。
空は白やいできたが、結局思ったとおりの日の出は拝めなかった。それでも、少し雲が色づいていたので、何となく雰囲気はわかった。あと二回のチャンスがあるので、今日は練習ということにしておこう。振り向きつつ、初めてのアンコール撮影を終了した。
バスに乗車するまで、少しの障碍が残っていた。それは、裸足の子供たちの土産(写真集や絵葉書)の販売攻勢だ。No thank you と断るのが一番だが、とにかくしつこい。メンバーで、かわいそうだと買った人もいたようだ。でも翌日もまた来るので、買うんだったら最後の日がよい。
◆アンコールワット再び
ホテルへ戻り、朝食。
食後、再びアンコールワットへ。今度は、いよいよ中を撮影。それにしてもさすがに広い。アユタヤとは趣も規模も異なる。回廊を歩いているうちに本当に疲れた。暑さはそれほどでもないが、ポイントが絞れず、あたふたとするばかり。
◆アンコール・トム
昼食後、暫時休憩。写真の整理をPCでして、相部屋のOさんとしゃべっているうちに時間がきてしまった。
午後は、アンコールトム。ここは王宮と寺院があり、さらに広大な面積を占めている。アンリ・ムオー(Henry Mouhot)が19世紀半ばにアンコールワットを西洋人として初めて発見したわけだが、ギリシャやローマの遺跡よりも遙かに大きいと驚いたわけがわかる。わが国の世界遺産である姫路城も確かに美しく壮大であるが、古さと規模においては、アンコールの遺跡に敬意を表さないではおれまい。彦根城などは遠く足下にも及ばない。
カンボジアにとって大きな財産にちがいない。国家や国旗に出てこないわけがない。ただ、保存の仕方が心配だ。この先、ずっと今の形を保てるかどうか、不安が残る。
閑話休題。
さて、アンコールトムの門前の林まで来ると、何か木の上から金属性の大きな音声が聞こえる。一同、見上げてその音源を探すがよくわからない。スピーカーのハウリングかと思うがそのスピーカーは見あたらない。まさかと思いつつ、蝉の鳴き声ではないですか、と私がいうが、だれもそうは思わない。言った本人も自信はない。先を歩いていたガイドに追いつき、訪ねると、そうだ、蝉の声だという。そういえば、ヒグラシの声に似ている。それよりもさらに金属性の音だ。初めてきいたし、ここ以外では聞かなかった。
アンコールは町とか都市、トムは大きいという意味とのガイドの説明があった。3キロメートル四方で、堀の幅は130m、8mの城壁に囲まれていたそうだ。東に2つ、南西北に各1の門、合計5つの門がある。すべて同じ大きさである。いわゆる象のテラスは、350mの長さがあり、象の彫刻が施されている。真ん中のみガルーダの彫刻。ここには、かつて木造の王宮があった。向かいの正面には勝利の門と死者の門があり、外国との戦いに勝ったときは勝利の門をくぐり、王やその従者2000人が凱旋を迎えたそうだ。
バイヨン寺院は、12世紀に建てられた、大乗仏教の寺院。49の塔があり、中央塔は45mの高さがある。塔には東西南北に観音様の面が掘られている。何人かの若い女性たちがその前で横を向いて写真を撮っているのでどういう背景を撮っているのかと観察すると、なんと、背景の観音様の横顔にキッスをしているように撮しているのである。これはおもしろいと、私も添乗のYさんに頼んで、撮らしてもらった。うまく撮れたと思う。こういう遊びはおもしろい。
◆プノン・バケン(夕景撮影)
夕景はプノン・バケン。アンコール三聖山の一つ。ヤショー・ヴァルマン一世が九世紀末に建造した寺院。高さ60mの自然の丘陵に建つ。本来は急勾配の階段の参道があるのだが、痛みが激しく、今は通行を許されて居らず、脇の山道を登ることになる。テラス状の広場の奥にピラミッド式の寺院がある。丘の上だけに眺望が360度広がる。夕日の名所の所以だ。しかし、登った時点では雲が厚く、良い夕日は期待できない様子だった。しかし、日没直前、運良く太陽が顔を出し、まずまずの夕景が拝めた。いろいろ設定を変えて撮ってみた。人が多く、人を隠すのに苦労をした。逆に、良いところに腰掛けるカップルがいたので、後ろからだまってモデルになってもらった。まずまずの出来かと思う。
暗い山道をバスにもどった。街灯がまったく設置されていないところがカンボジアらしくていい。
◆アプサラの踊り
夕食はバッフェスタイル。場所は、Amazon Angkor。食後は、カンボジアが誇るクメール文化の華「アプサラの踊り」を鑑賞。9世紀頃に生まれた宮廷舞踊だそうだ。アンコール遺跡のレリーフにも描かれている。アプサラは、天女・天使とみなされ、踊りは神への祈りとして捧げられるものだそうだ。手首をそらせて、腰を低くするところは、インドネシアのバリ舞踊にも似ているが、目の動きはなかった。それに、足を後ろに跳ね上げるのは独特の動きに思えた。
朝4時過ぎ起床。6時に集合場所へ。思ったほど寒くなく、夜が明けるとともに快晴。10人のメンバーはみんな元気。
ベトナム航空便は、比較的空いていて、後方に陣取った我が一行は、ゆったりと席に着けた。しかし、夕食の選択はできなかった。ちょっと悔しい思い。それに、座席の前に備え付けのモニターは機能せず、映画は天井つり下げの小さなテレビで見るしかなかった。映画は、ベトナム映画で何かせつないストーリーのようだったが、言葉が理解できず、ほとんど分からなかった。ホーチミンでのトランジットはスムーズに行った。それでも、トランジットの受付カウンターには20~30人の欧米人を中心とした列ができていた。ひょっとしたら、バンコクの影響か?
さて、いよいよカンボジア。午後4時20分到着。シェムリアップ国際空港は、こじんまりとした小さな空港。ゲートは2つあるが、いずれにしても飛行機はタラップで乗り降りするタイプ。ロンセストンの空港に似ていた。
気温は、31℃。天候は晴れ。蒸し暑さは感じなかった。税関には係官がおらず、フリーパス。人手不足か。ホテルには、20分ほどで到着。この日は、6時30分にホテルにて夕食。明日に備えて、就寝。
12月5日(金)
【日程概要】
4:40 起床
5:40~6:30 日の出撮影
7:30 朝食(ホテル)
9:30~11:30 アンコールワット撮影
12:00 昼食
13:00~14:30 休憩
14:50~16:00 アンコールトム撮影
16:30~18:30 プノン・バケン(丘の上の寺)夕景撮影
19:00~21:00 夕食(舞踊)
◆日の出撮影(アンコールワット)
午前4:30起床。着替えて、5:30ホテルを出発。バスで10分ぐらいのところに、アンコール遺跡の入場券販売所があり、そこで、顔写真を撮影され、数分後3日間有効のパスが作られた。40ドル。我々にとってはそんなものかと思える値段だが、当地では結構な収入に違いない。
暗闇の中、アンコールワット到着。橋の入り口では、ずらっと並んだ制服の係員が、入場パスを厳重にチェックしている。橋上には明かりがまったくない。橋の半分は修復されて平らだが、左側は荒れたまま。それよりも、水に落ちればたいへんだ。懐中電灯を持参しなかったことを後悔。なんとか、地雷(牛糞)を避けながら、撮影場所の左側聖池前へ到着。すでに100人以上の人が集まっている。
撮影を開始した。設定をいろいろ変えながらだが、だいたい今まで夜明けを撮影したことがなかったので、相当枚数試行錯誤した。三脚は持参しなかった。一脚では両手が使えず、長時間露光はできない。隣に陣取ったマレーシアの若者はα200でフラッシュをつけ、マニュアル(M)で、撮って、明るい写真を楽しんでいた。休暇で、今日が最後だそうだ。あまり良い朝日はなかったそうだ。
空は白やいできたが、結局思ったとおりの日の出は拝めなかった。それでも、少し雲が色づいていたので、何となく雰囲気はわかった。あと二回のチャンスがあるので、今日は練習ということにしておこう。振り向きつつ、初めてのアンコール撮影を終了した。
バスに乗車するまで、少しの障碍が残っていた。それは、裸足の子供たちの土産(写真集や絵葉書)の販売攻勢だ。No thank you と断るのが一番だが、とにかくしつこい。メンバーで、かわいそうだと買った人もいたようだ。でも翌日もまた来るので、買うんだったら最後の日がよい。
◆アンコールワット再び
ホテルへ戻り、朝食。
食後、再びアンコールワットへ。今度は、いよいよ中を撮影。それにしてもさすがに広い。アユタヤとは趣も規模も異なる。回廊を歩いているうちに本当に疲れた。暑さはそれほどでもないが、ポイントが絞れず、あたふたとするばかり。
◆アンコール・トム
昼食後、暫時休憩。写真の整理をPCでして、相部屋のOさんとしゃべっているうちに時間がきてしまった。
午後は、アンコールトム。ここは王宮と寺院があり、さらに広大な面積を占めている。アンリ・ムオー(Henry Mouhot)が19世紀半ばにアンコールワットを西洋人として初めて発見したわけだが、ギリシャやローマの遺跡よりも遙かに大きいと驚いたわけがわかる。わが国の世界遺産である姫路城も確かに美しく壮大であるが、古さと規模においては、アンコールの遺跡に敬意を表さないではおれまい。彦根城などは遠く足下にも及ばない。
カンボジアにとって大きな財産にちがいない。国家や国旗に出てこないわけがない。ただ、保存の仕方が心配だ。この先、ずっと今の形を保てるかどうか、不安が残る。
閑話休題。
さて、アンコールトムの門前の林まで来ると、何か木の上から金属性の大きな音声が聞こえる。一同、見上げてその音源を探すがよくわからない。スピーカーのハウリングかと思うがそのスピーカーは見あたらない。まさかと思いつつ、蝉の鳴き声ではないですか、と私がいうが、だれもそうは思わない。言った本人も自信はない。先を歩いていたガイドに追いつき、訪ねると、そうだ、蝉の声だという。そういえば、ヒグラシの声に似ている。それよりもさらに金属性の音だ。初めてきいたし、ここ以外では聞かなかった。
アンコールは町とか都市、トムは大きいという意味とのガイドの説明があった。3キロメートル四方で、堀の幅は130m、8mの城壁に囲まれていたそうだ。東に2つ、南西北に各1の門、合計5つの門がある。すべて同じ大きさである。いわゆる象のテラスは、350mの長さがあり、象の彫刻が施されている。真ん中のみガルーダの彫刻。ここには、かつて木造の王宮があった。向かいの正面には勝利の門と死者の門があり、外国との戦いに勝ったときは勝利の門をくぐり、王やその従者2000人が凱旋を迎えたそうだ。
バイヨン寺院は、12世紀に建てられた、大乗仏教の寺院。49の塔があり、中央塔は45mの高さがある。塔には東西南北に観音様の面が掘られている。何人かの若い女性たちがその前で横を向いて写真を撮っているのでどういう背景を撮っているのかと観察すると、なんと、背景の観音様の横顔にキッスをしているように撮しているのである。これはおもしろいと、私も添乗のYさんに頼んで、撮らしてもらった。うまく撮れたと思う。こういう遊びはおもしろい。
◆プノン・バケン(夕景撮影)
夕景はプノン・バケン。アンコール三聖山の一つ。ヤショー・ヴァルマン一世が九世紀末に建造した寺院。高さ60mの自然の丘陵に建つ。本来は急勾配の階段の参道があるのだが、痛みが激しく、今は通行を許されて居らず、脇の山道を登ることになる。テラス状の広場の奥にピラミッド式の寺院がある。丘の上だけに眺望が360度広がる。夕日の名所の所以だ。しかし、登った時点では雲が厚く、良い夕日は期待できない様子だった。しかし、日没直前、運良く太陽が顔を出し、まずまずの夕景が拝めた。いろいろ設定を変えて撮ってみた。人が多く、人を隠すのに苦労をした。逆に、良いところに腰掛けるカップルがいたので、後ろからだまってモデルになってもらった。まずまずの出来かと思う。
暗い山道をバスにもどった。街灯がまったく設置されていないところがカンボジアらしくていい。
◆アプサラの踊り
夕食はバッフェスタイル。場所は、Amazon Angkor。食後は、カンボジアが誇るクメール文化の華「アプサラの踊り」を鑑賞。9世紀頃に生まれた宮廷舞踊だそうだ。アンコール遺跡のレリーフにも描かれている。アプサラは、天女・天使とみなされ、踊りは神への祈りとして捧げられるものだそうだ。手首をそらせて、腰を低くするところは、インドネシアのバリ舞踊にも似ているが、目の動きはなかった。それに、足を後ろに跳ね上げるのは独特の動きに思えた。
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