宇津江四十八滝は、岐阜県の名勝地である。二週間前に訪ねた、ナイアガラ瀑布に比べれば、まことにささやかな滝であるが、趣きとか情緒とかいう物差しで比べれば、決して劣るものではない。むしろ、ナイアガラの滝には求めることのできない、心が慰められるたたずまいである。ナイアガラがアメリカンステーキであるなら、我が宇津江四十八滝は、飛騨牛のしゃぶしゃぶといったところか。
渓谷入り口のもみじ
岩の上の水に映える紅葉と黄色い落ち葉
五番目にある上段滝(じょうだんたき)高さ10.1m、幅6.8m
二つに分かれた幹の間にカメラを上向きに置いて撮影。
手前にあるのが、三番目の平滝(ひらたき)高さ3m、幅4,5m 上の方に見えるのが四番目の函滝(はこたき)高さ11.5m、幅4。5m
白川郷=世界遺産
定番の三軒ならぶ風景、季節ごとに様子を変える。
干されているのはスルメ・・・ではなくて、朴の葉。
手前の草は、蕎麦。黒い実が詰まっていた
バンパーへの映り込み
鉄人28号がこんなところで活躍していた。遺産を火事から守っている。
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2008年10月28日火曜日
2008年10月15日水曜日
6th day
10月14日(火)
午前4:40に起床。荷物を外へ出し、ロビーへ。このホテル(Crown Plaza Denver City Center)はインターネットし放題。無線ランがあるので、部屋でも快適。ロビーにも2台設置されている。
バスにて5:30出発。空港へ向かう。
朝食は弁当。ベーコンとジャガイモとスクランブルエッグとオレンジジュース。質量ともによい。特にベーコンはよい。
この日はデンバーからフェニックスへ。
フェニックスの空港も相当大きい。自販機の水などは、2ドル。おおざっぱな値段だ。
バスで一路、フラッグスタッフへ。フェニックスではシュロの木が目立つ。郊外へ出るとすぐに、大きなサボテンの林が続く。しばらくうとうとしているうちにサボテンは視界から消えていた。一定の高度のところにしか自生しないとか。
ここのガイドが一番ランクが低い。「バォーリスの足跡をたどる北米旅考」というボードを持って出迎えてくれたときは、一同ずっこけたが、これは愛嬌の範囲内。しかし、それは、その後のガイドぶりを象徴するものであった。まったく事前リサーチをしていないようで、そもそも我々が何のためにこの旅をしているのかわかっていないようにさえ思える通訳ぶり。あきれてみんな口がふさがらない様子だった。 Presbyterian Church やWilliam Merrell Vories という英語を聞き取れないのだから。
ガイドの悪口はこれまで。
Montezuma Castle National Monument http://www.nps.gov/moca/を見学して、すぐに昼食。(http://www.cliffcastlecasino.net/)パスタ料理だった。味はうすあじ。ガイドによれば、日本人向けにリクエストしておいたとのこと。これは余計なことだ。オリジナルの味を楽しみたい。
フラッグスタッフに到着し、ヴォーリズ縁の教会、小学校跡地、住居を巡る。住居は、借り主に連絡が取れず、外観のみ。ヴォーリズ父が勤務したBank & Hotel は車窓から。
ホテル(Radisson Woodlands Hotel Flagstaff http://www.flagstaffwoodlandshotel.com/)へ4時頃到着し、しばし休憩。 6:30から夕食会。これが今回の旅行の最後のディナーとのこと。ディナーは、Sakuraというホテル内にある日本料理店。売り物は、天板焼きのパフォーマンス。炎を立ち上げ、湯気を上げるタマネギの噴火山。最後はよく切れるナイフで肉をちょん切る。アメリカ人の客は大きな歓声を上げて、笑い転げていた。シェフにどこで修行をしたのか聞いたら、独学でまさにこのレストランで鍛えたとか。本当か?
パフォーマンスに手間取り、食事の時間は相当。
食後、近くのSafewayまで散歩を兼ねて買い物。水と紅茶ティーバッグとコナコーヒーの豆を購入。
2008年10月13日月曜日
4th Day
10月12日(日)
ややゆっくりの起床。この旅行の中では、遅いほう。しかし、まずは移動。市のコミュニティセンターで朝食。緊張するので、あまり食べた気がしない。
食後は、500mほど移動したところで記念碑の除幕式。なかなか立派な碑が建っていた。この日のために用意されたそうだ。K記念の植樹の桜も数年前より立派に成長。その時期に訪ねたいものだ。
礼拝出席。献金はきづつないものだ。
教会でのポットラックランチのあと、とりあえずホテルへ戻る。着替えをして、再集合。回転木馬館。5年前はまだ計画中だったが、見事に完成。博物館といっても、かなりの部分はボランティアの仕事のようだ。手作りの温かみが感じられる。CWParker 1913
一行が博物館(Carrol Mansion)見学とお墓参りに行っている間に、S氏が希望するPreschoolの見学につきそう。B氏の案内で、彼女の勤める施設を見学。Autism (autistic)という語を学習。自閉症の児童の問題はこの国でも深刻。しかし、障害を持つ子供への配慮は手厚い。12人の子供を3名の教員が担当。父母への教育プログラム。その他きめ細かい配慮。
Walmartで一行と合流。しばし買い物。
夜は、答礼晩餐会。予想外に狭いCafeで身動き取れず。元市長の夫妻と同席。いろいろ話を伺う。
食後は場所を変えて、ウェスタン酒場でダンスの夕べ。例によって、踊る派と壁の花にわかれる。何となく居心地が悪い。プールバーに行くのも気が引ける。こういうときは、ひたすら時間のたつのを待つしかない。
ネットができず、写真を整理したら、疲れが出たので、早く就寝。
3rd Day
10月11日(土)
今日は本来午前4時のモーニングコールで、4時40分に出発という段取りであった。我々はモーニングコールに先立って3時半ごろ起き出した。すると、なにやらチャイムの音。誰かがノックをしているのかと思い、ドアを開けるがそこには、インターネットの請求書。姿はなく、チャイムは鳴りやまない。あっと思うと、それはやはり非常ベルであった。
そのうちアナウンスが入る。まずは、5階で警報がなり、消防署に連絡をしているので、部屋に待機すべしという通知。廊下で気配がするので出てみると、エレベータは停止中。火事となれば当然エレベータは止まるということ。
さらにアナウンスが入る。消防が到着し、5階で対処しているとのこと。部屋で待機せよとの案内。集合時刻が迫るので気がせくが、まさか25階から階段をスーツケースを抱えて降りるのは不可能と考え、放送の指示通り部屋で待機。やがて添乗からも待機の連絡。
しばらくすると、ホテルから復旧対策がほぼ終了したとの放送。廊下に出ると、エレベータが動きだした。うまいタイミングで乗ることができた。途中で何度か止まるが、すでに満員。
集合場所に行くと、すでに降りている人が何人か。そのうちの数組はなんと階段を下りたという。19階、25階という。驚いた。
弁当を受け取り、予定よりやや遅れて空港へ。何とか滑り込み搭乗。機は遅れること30分で離陸。デンバー経由でカンザス空港。
空港にはCH氏が出迎え。大阪弁を操る、怪しいガイド。Leavenworth をレベンワースと発音する。だれも訂正をいれないので、もどかしい。
昼食弁当が配られた。中は、サンドイッチとチップと果物。チップの量は相当。
バスで懐かしのアンティークタウンへ。ダウンタウンの端でバスから降りると、そこにトロリーバス風の乗り物。観光用に用意されたシャトルバス。ダウンタウンを巡回している。とりあえず2ブロックほど乗車すると、あのアンティークモールの前。Made-in-occupied Japan ものを物色。ペアのブランコ乗りの子供たちのフィギュア、小さな爪楊枝入れ、もう一組ペアの壁飾り(一輪差し?)を買い求める。総額で30ドル。この前は、うっかり落として壊したので、今回は慎重に。
前来たときより、さらに閉じている店が増えた気がする。歩道の一部は工事中。一筋裏の通りへ行くと、空き地がさらに広がる。紅葉を探すが、気温が高く、まだまだ青い。
通りを行くバイクライダーが多い。リタイアした人たちに広がっているよう。ガソリン高も影響しているのではないか。
我々以外に通りを行く人の数は少ない。我々のために店を開けておいてくれるのではないかと思うくらい。
しばし、買い物や写真撮影。2003年3月以来の訪問であるが、昨日のことのよう。懐かしさがこみ上げてくる。B夫妻とも再会。二人ともあまり変わっておられない。ご主人は、口ひげが。かえって若々しい。
その後ホテルへチェックイン。モテルなので、インターネットの設備はない。
夕方バスで、旧創立者宅へ。大勢の関係者がすでにBBQの用意をして待っておられた。定番の記念撮影。もう日が沈んでいるのであまりよい条件ではない。すぐにBBQの席へ。厚いステーキとスペアリブ。スペアリブは食べそこねた。
市長から新しい提案。詳細は後日であるが、そのことで話しているうちに時間がたち、満腹できず。まあ、そうなることになっていたか。
今夜はゆっくりできそうで安心。しかし、ネットの利用ができず、とりあえず写真の整理のみ。
2008年10月12日日曜日
2nd day
10月10日(金)
朝7時に起床。ホテル(Sheraton Centre Toront)のレストランBistro on Twoで、バッフェスタイルの朝食。さすがに、すべて欧風。中華も和もなし。食欲はあるが、通じがまだないので、少し押さえた。バナナが普通においてあったのが、かえって新鮮。何しろここ2週間ほど日本ではバナナがダイエットブームのため不足気味。
8時30分には出発。メンバーの一人が電話を紛失したようで、出発がやや遅れる。おかげで、通りの写真を何枚か撮ることができた。ハプニングもまたよし。
車で走ること約5分ほどで、第一の目的地マッセイホールに到着。伝説の「聖地」。百年以上も前の劇場が今でも現役で活躍しているのは驚き。日本だったらとっくにこわされているか、記念物になっているだろう。今日もコンサートがあるとかで、楽器の搬入が行われており、見学は外からのみ。わざわざトロントにきた割にはあっさりとした見学であった。やはり今日のメインイベントは、ナイアガラ瀑布見学か。
高速道路をひた走ること約2時間半。それは衝撃の出来事。巨大な滝ということである程度のイメージはあったが、あと20分ほどで到着と案内しつつ、前方の煙はナイアガラの滝から舞い上がるしぶきだろうと、アナウンス。まさか嘘だろうと思ったが、近づくと、まさにその通りであった。我々の頭上はるか上空までその煙上のしろいしぶきは舞い上がっていた。
とりあえずは、テーブルロックから見下ろして見学、ということでなめていた。しばらく写真を撮っていると雨。雨ではない、しぶきが降っているのである。思わずカメラを上着の下に隠した。頭も上着もズボンもぐっしょり濡れた。これはいけない。ガイドの言うとおり、傘があれば傘を持っていった方がよいくらいだ。
昼食後、いよいよ船での見学。大勢の見学者。多くのひとが階上デッキ。かなり混雑していたので、あきらめて1階で見学することにした。あんなに大勢階上デッキにいると、かなり重心が高いのではないか。50年前、J伯父伯母夫婦がここに来たのかと思うと感慨ひとしお。ステレオビューのおもちゃをもらったことを思い出す。あれはどこに行っただろう。帰ったら探してみよう。思えばあれが、我が海外旅行へのあこがれの原点だった。
ガイドによれば、本日のような天気は珍しいとのこと。Indian Summer と呼ばれ、この後ぐっと冷え込み、紅葉が進む。今はまだ紅葉には少し早い。同時期にバーモントへ行ったときはすっかり紅葉が進んでいた。トロント周辺は海岸に近いので、バーモントよりも北方に位置する割には温暖なのだろう。
バンクーバーのある西海岸は針葉樹が多いが、東海岸はほとんどが広葉樹(照葉樹)なのでさぞかし美しい光景だろうと想像。
ナイヤガラでの記念撮影に手間取ったせいか、バッファローのダウンタウンでの自由時間はわずか45分。トイレでもたついているうちにのこり30分となり、撮影する間があまりなく、残念。
トロントへの帰路につく。午後5時過ぎ。すでに郊外へ向かう渋滞が始まっていた。冬季の霧や雪による視界不良に備え、すべての車両はエンジン始動と連動して、ヘッドライトが点灯するように義務づけられている(自動的に点灯)省エネに反する法律ではないか。
夕食は、夜景のきれいな湖畔沿いの中華料理店。I氏のおごりでビールをいただく。
2008年10月10日金曜日
北米「旅考」初日
今日は全くの移動日。
サンフランシスコまでは予定よりも約50分ほど早い到着。
トランジットなのにいったん米国入国の手続き。トロントまでの飛行機に乗るために靴まで脱がされる始末。入国審査では、両手の人差し指の指紋と顔写真をとられた。犯罪者扱いだ。
グループなので、つい集まってしまうと、すぐに移動せよ、と言う。その表現が、おもしろい."Bye-bye"
トランジットの時間、約2時間。サンフランシスコ空港は、新しい.円形の建物が特徴的。ぐるっと一周できそう。「おーいお茶」があったので、小銭を使おうと買うが、4.06で、6セント使えただけ。ちょっと当て外れ。
TCは不慣れのようで、ちょっとこころもとない。トロントまでの機内食は有料。
それなら、SFで食事をしておくように案内があるべきだ。旅程表をよくみれば、たしかに昼食は×がしてある。もっとも、今の東部時刻は午後4時だが、日本は午前5時。
日本時間だと食事をする時間ではない。ここは我慢しておくことにする。
今日の写真はこれだけ。1枚目は、機内で。2枚目と3枚目は、ホテルにて。
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