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2024年11月8日金曜日
東北大周遊4日間 四日目 (11月8日金曜日)
6:00に起床。6:30朝食。8:00に出発。
最終日が始まった。最初の立ち寄り場所は、ホテルから5分の桧原湖。磐梯山の噴火によってできた湖沼のひとつ。裏磐梯最大の湖で湖岸周約31km、最大水深31m。他に五色沼湖沼群があって写真的にはそちらの方が興味深いが、ハイキングをしながら巡る場所のようだ。今回のツアーには適さないようである。桧原湖では風が強く、紅葉の景色も今ひとつ。今回巡る10景の中では、つまらない場所であった。省いてもいいような。次の大内宿でもっと時間をとってほしかった。
桧原湖遊覧船乗り場付近から大内宿までは75㎞ほど。時間にして1時間半。バスは、あえて旧街道の131号線を通るルートを走った。こちらの方が交通量も少なく、景色も良いらしい。
楽しみにしていた大内宿であるが、滞在時間はわずか1時間。ここなら一日いても足らないぐらいだろう。とりあえず、一番奥の展望台に行くことにした。
大内宿は、1981年(昭和56年)に重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。会津若松と日光今市を結ぶ会津西街道の宿場町として栄えたそうだ。その後、幾多の変遷があったが、よくぞ保存されたものだ。もともとの道は今ほどは広くはなかったらしい。住民憲章「売らない、貸さない、壊さない」という住民憲章を守っているそうだ。茅葺き屋根の民家は今はほとんどが店舗(土産物や食事の店)になっていて、活気がある。住居でもあるが、多くの人が藁葺き屋根の裏に家を建てて住んでいるらしい。維持は大変なことだろう。
展望台へは長い階段を登らなければならず、一気には登れない。階段が狭いので、後から人が続くと休んでもいられない。試練の時であった。しかし、展望台からの眺めはその苦労のご褒美としては十分であった。
展望台で写真を撮っていたら、あっという間に持ち時間の半分が過ぎてしまった。民芸品やら地元の食べ物やらいろいろ売っている店が並ぶのでじっくり見たいが写真も撮りたい。この旅ではずっと抱いていたストレスだった。やっぱりこういう駆け足のツアーは写真撮影旅行にはなり得ないということを改めて思い知らされた。今染めの暖簾(5,000円)が目にとまったので、今回の旅の思い出に購入した。丁寧に包んでレジ袋に入れてくれた。
走るようにして駐車場に戻った。後ろ髪を引かれる思いで大内宿を後にした。
残すところ、会津若松の鶴ヶ城だけである。大内宿から会津若松へは約30km、121号線を通る別ルートでの移動であった。昼食の時間を過ぎていた。この日の昼食は、オプションで予約していた。最初、M氏は鶴ヶ城公園での自由行動のあとでバスに戻ったら弁当を置いておくと説明してくれた。しかし、それでは車中で食事をすることになるので、公園内で食事をしたいと弁当を受け取った。これは正解であった。天気も好く、場内にはベンチがあり、天守閣を眺め、人間観察をしながらゆっくり食べることができた。鶴ヶ城(若松城)は、りっぱな城であったが、戊辰戦争の戦場となり、官軍の砲撃を受け、大きく損傷し、その後取り壊された。現在の城は、1965年にコンクリート造で復元されたものだ。赤い屋根瓦が特徴だが、下から見るとその色はそれほど鮮明ではなかった。
随所にスマホで記念撮影ができるようにスタンドが設置されていた。彦根城にもあるそうだが、初めて見た。一組の老夫婦が撮ろうとしていたが、セルフタイマーの設定の仕方がわからないという。シャッターを押してあげた。他にも、スタンドのそばで自撮りをしようとしているカップルがいたので、スタンドをつかったら、と教えてあげた。
鶴ヶ城公園そのものは、入場無料。天守閣(天守閣博物館)の入場料は、410円だそうだ。時間もないので、入場はしなかった。城の周辺は松の木が多かった。桜もあるが、すでに葉を落としていた。城は、少し離れたところから見た方がよかったかもしれない。
かくして、3泊4日の大旅行の見学はすべて終わった。あとは帰路に着くだけだ。鶴ヶ城公園から一路、上越妙高駅を目指した。230㎞、約2時間半のドライブ。途中の停車は、110㎞先の黒埼PA。途中、添乗のM氏によれば、昨日は高速道路で事故があり、一時的に渋滞があったそうだ。今日でなくてよかった。平泉では雨に降られたものの、旅行前に見た天気予報では雨マークが毎日あったことを思えば、天候に恵まれた旅であった。また、ツアーのメンバーのみなさんもいい方ばかりで、ストレスはまったくなかった。行程はハードであったが、順調にスケジュールが進んだのは幸運であった。
つつがなく、日本海バスとお別れをし、北陸新幹線、17:15発のはくたか569号に乗ることができた。本来、敦賀で新幹線からサンダーバードに乗り換え、京都または大阪に向かうのであるが、我々は検討の結果、敦賀で米原行きに乗り換えることにしていた。京都から帰るよりも約50分ほど早く帰れるからであった。敦賀発米原行きの普通列車は2両編成。それなりに乗客はいたが、乗車率は50%ぐらいだったろう。途中の駅でもほとんど乗り降りはなく、このまま米原までのんびり行けるだろうと思っていた。余呉駅の手前で、尻がいたくなってきたので、席を立って腰を伸ばした。やがて、余呉駅に列車が止まった。そのとき、意外なものが目に入って、あわてて席にもどった。ホームには溢れるぐらいの群衆がいたのだ。この旅で最大のハプニングと言ってもよいくらいだ。小さな余呉駅にとんでもないことが起きていた。列車が止まるやいなや、都会のラッシュアワーのように乗客が車内になだれ込んできた。無人駅のはずなのに、JR関係者らしい人が整理にあたっていた。2両はたちまち満員となり、積み残しの客がたくさんホームに取り残されたのだった。
車内は人熱でむわーっとするような感じで息苦しい。乗り込んできた人は若い人がほとんど。どこかの大学の学生?、コンサートの帰り?などといろいろ推測していたが、妻が近くのカップルに尋ねたところ、花火大会の見物帰りだということがわかった。平日に開催された北びわこ花火大会余呉の陣(4000発、30分間)。長浜まで満員の息苦しい状況が続いた。最後に、思いがけない混雑を経験した。
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