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2020年1月24日金曜日
タイ6泊7日 第7日
第7日 1月23日木曜日
幸い、朝には小康状態となり、予約したタクシーで空港に行くことができた。チェックインも無事にすませて、出国審査を受けると、女性の係官が、別の係官を呼び、私は別の席へ連れていかれた。何度も海外旅行をしているが、このような経験は初めてのことであった。ただ、別室ということではなく、カウンターの後ろにあるデスクなので、「連行された」というほどの強いものではなかった。係官は、自分のスマホで私のパスポートを撮影したり、PCで何やら調べたりていた。10分ほどして、もう行ってもよいということであった。どういうことなのか、と訪ねると、"Mistake"との一言が帰ってきた。まあ、解放されたのだから、文句を言うのも大人げないし、そもそも抗議をするだけの語学力もなかったので、素直に出国することにした。
ゲートに向かうと、何やら美女を中心とした一団がやってきた。どうやら民族舞踊のパフォーマンスを見せてくれるらしい。得した気分だ。先ほどの出国審査のトラブルの埋め合わせということにしておこう。
到着便と同様、帰国便もやはりバスで移動し、乗り込んだ。幸い、後方の席は空いており、4人掛けのところに2人で座ることができた。体調の方もまずまずで、機内食も少しは食べることができた。
久しぶりの日本は、それほど寒くなかった。イモトのWi-Fiを返し、駐車場の無料の手続きをすませ、駐車場に向かった。最後のトラブルは、車を駐めたところを間違えたことであった。あとでメモ帳をみたら、ちゃんと駐車位置をメモしていたのに、迷ってしまった。P1のEの2Fに駐めたのに、P1のGに入り、2Fに行ったり3Fに行ったりしてしまったのだった。疲れがどっときた。
ともあれ、何とか自宅に戻ることができた。妻はもう2度と海外旅行は行かないと宣言した。
下痢は一週間ほど止まらなかった。医者によれば、「旅行者下痢症」ということだ。たぶん、アユタヤでコーラを飲んだときの氷が原因だと思う。少し油断した。
まとめ
今回の旅のポイントは、目的地にそれぞれ知り合いがいて、それを訪ねるというところにあった。二組の知り合いを一つの旅で訪ねるのは、ちょっと欲張りだったかもしれない。せっかく行くのだから、という気持ちがそうさせた。二つあるとどうしても比べてしまうのが人間の性(さが)である。今回は、ウドンターニーに絞ったらよかった。バンコクは5度目なので、感動が少ない。やはり初めての土地は面白い。 1月17日という日を選んだのはなんとなくであったが、結果として正解であった。赤い睡蓮を見られたし、1月18日にウドーンターニー市が設立された日を記念する祭りの日にそこにいたことだ。
不幸にして最後は腹をこわしてしまったが、思い出に残る旅であった。写真の成果は、例によって数ばかりは多いが、傑作はない。
旅にかり出してくれ、案内してくれたNさんと、Hさんに心から感謝したい。
できることなら、もう一度タイに行きたい。次の目的地はチェンマイである。
2020年1月23日木曜日
タイ6泊7日 第6日
第6日 1月22日水曜日
朝9時半にロビーで、Hさんとお母さんと待ち合わせた。お母さんとの再開も久しぶりである。
この日は運転手付きのワゴン車でアユタヤ観光であった。最初に行ったのが、三基のパゴダの寺院、ワット・プラシーサンペット。ほぼ同時に高校生の一団が入ってきてとても賑やかだった。
1491年に建立されたアユタヤ王朝の王室守護寺院。山田長政も訪れたのだろうか。
二つ目に行ったのは、ワット・プラ・ラーム。これはさらに古く、1369年に、初代王の火葬跡にたてられたそうだ。崩れてはいるが、往時が偲ばれる。
アユタヤの寺院遺跡を見るのは、たぶん三回目。暑くなければいろいろ楽しめそうだが、広い遺跡を歩き回るのは、暑さとの戦いだ。ただ、この時期は乾季なので、日陰に入れば幾分体感温度は違う。ゆっくり歩けばそれほど汗だくにはならない。
首のない仏像は、絵にならない。キラキラの装飾がないのは救いだが、思い切った構図はなかなか見つからなかった。遺跡のまわりには花の咲く低い木がない。池もない。アンコールワットの遺跡はやはりすごかった。
昼食はアユタヤ市内の川沿いのしゃれたレストラン。チャーハンのようなご飯を中心に、焼きそば、スープ、川エビの焼き物などをいただいた。
このあと、バンコクへもどり、ロットファイマーケットを案内するという予定であった。しかし、大変疲れたので、自分たちで行くからということで、ホテルへ送っていただき、Hさんとお母さんとはそこでお別れをした。
このあと、体に変調を来した。37.7℃ぐらいの熱が出て、下痢をした。妻も熱こそ出なかったが、同じく腹を下した。最後の夜はこうして更けていった。もちろん食事どころではなく、ロットファイマーケット行きも中止になった。果たして明朝無事に帰路につけるかどうか、不安のなか一夜を明かした。妻は思いきって病院にかかろうかと思っていたようだ。
朝9時半にロビーで、Hさんとお母さんと待ち合わせた。お母さんとの再開も久しぶりである。
この日は運転手付きのワゴン車でアユタヤ観光であった。最初に行ったのが、三基のパゴダの寺院、ワット・プラシーサンペット。ほぼ同時に高校生の一団が入ってきてとても賑やかだった。
1491年に建立されたアユタヤ王朝の王室守護寺院。山田長政も訪れたのだろうか。
二つ目に行ったのは、ワット・プラ・ラーム。これはさらに古く、1369年に、初代王の火葬跡にたてられたそうだ。崩れてはいるが、往時が偲ばれる。
アユタヤの寺院遺跡を見るのは、たぶん三回目。暑くなければいろいろ楽しめそうだが、広い遺跡を歩き回るのは、暑さとの戦いだ。ただ、この時期は乾季なので、日陰に入れば幾分体感温度は違う。ゆっくり歩けばそれほど汗だくにはならない。
首のない仏像は、絵にならない。キラキラの装飾がないのは救いだが、思い切った構図はなかなか見つからなかった。遺跡のまわりには花の咲く低い木がない。池もない。アンコールワットの遺跡はやはりすごかった。
昼食はアユタヤ市内の川沿いのしゃれたレストラン。チャーハンのようなご飯を中心に、焼きそば、スープ、川エビの焼き物などをいただいた。
このあと、バンコクへもどり、ロットファイマーケットを案内するという予定であった。しかし、大変疲れたので、自分たちで行くからということで、ホテルへ送っていただき、Hさんとお母さんとはそこでお別れをした。
このあと、体に変調を来した。37.7℃ぐらいの熱が出て、下痢をした。妻も熱こそ出なかったが、同じく腹を下した。最後の夜はこうして更けていった。もちろん食事どころではなく、ロットファイマーケット行きも中止になった。果たして明朝無事に帰路につけるかどうか、不安のなか一夜を明かした。妻は思いきって病院にかかろうかと思っていたようだ。
2020年1月22日水曜日
タイ6泊7日 第5日
第5日 1月21日火曜日
この日は、元留学生のHさんの案内でバンコク市内観光の予定であったが、朝になって彼女からメールが届いた。体調を崩したので行けないとのこと。代わりに車とガイドをチャーターしたという。9時にホテルへ迎えに来てくれた。ワゴン車である。ガイドは60歳の女性、名前はトゥートゥー(Two-two)。英語のガイドだ。午前中観光をしてレストランへ行き、そのあとマッサージという日程。
最初に行ったのは、ワット・サケットのGolden Mountain 黄金の丘。
Hさんからのメールによれば、午前中はエメラルド寺院直行のようだったので、虚を衝かれた思いであった。以下は、ウェブサイトから引用。「アユタヤ王朝(1351~1767年)から存在する古い寺院で、もともとは「ワット・サケー」と呼ばれていたが、バンコク王朝が創設された1782年に現在の「ワット・サケット」に改名された。ラーマ5世の時代に完成した高さ80メートルほどの黄金の丘「プーカオ・トーン」がそびえており、頂上にある黄金の仏塔には仏舎利が納められている。344段のらせん階段を上がると360度見渡せる回廊が広がっており、ここから眺めるバンコク市内の風景も素晴らしい。別名「ワット・プーカオ・トーン」(黄金の丘)とも言う。」
暑い中、覚悟を決めて登りかけたら、違ったようですぐに行き止まり。ガイドはよく知らなかったようだ。麓を巡ったら、入り口は一周の終点にあった。その時点で344段を上ることはもう断念していた。
次はエメラルド寺院(ワット・プラ・ケオ)へ行った。暑い中歩くのはあまり気が進まないが、ここまで来たらもう諦めるしかない。大勢の団体客が詰めかけていた。服装コード(肌の露出の多い服装やビーチサンダルの禁止)があるので注意しなければならない。
早朝に雨が降ったようで、水たまりが随所にあった。やはり水辺があるのは写真の撮り甲斐がある。運河の町なのに、寺院には池がないのはなぜだろう。
王宮にあるエメラルド寺院は、とても格式が高いそうで、観光できるのは寺院の一部だけ。また、寺院と言っても儀式に使われることがほとんどで、寺院内には僧侶がいないのが大きな特徴だそうだ。翡翠でできた仏像が祀られているのが、「エメラルド寺院」の名前の所以。そういえば、王宮の外にある広場で、前国王の葬儀が行われたとガイドが行っていた。
途中、スマホを箱の上において自撮りしようとしている3人組の若い女性がいた。スマホがうまく自立せず困っているようなので、撮影をしようかと声をかけた。聞けばトルコからだという。自分のカメラでも撮らせてもらったら、ぜひ送ってほしいという。メールアドレスを聞いてあとで送ることにした。
昼になったので、町の食堂でタイ料理。ウドンターニーで少しメニューに慣れたので、なんとなく食べたいものが食べられた。隣にマッサージ店があり、そこでフットマッサージを受けた。タイでのマッサージは久しぶりだった。台湾では、足つぼマッサージであったが、タイは普通のマッサージだ。施術をしてくれた女性が、「おかずクラブのゆいP」に似ていた。
その後、ホテルに戻りしばし休憩。夕方ようやくHさんに会え、他の2人の留学生も合流し、夕食を一緒に食べた。
夕刻、サイアムスクエアの横断橋の上で、撮影をした。やっぱり三脚が必要だ。手持ちでは、これぐらいが限度。手すりにカメラを置いているので不安定。
この日は、元留学生のHさんの案内でバンコク市内観光の予定であったが、朝になって彼女からメールが届いた。体調を崩したので行けないとのこと。代わりに車とガイドをチャーターしたという。9時にホテルへ迎えに来てくれた。ワゴン車である。ガイドは60歳の女性、名前はトゥートゥー(Two-two)。英語のガイドだ。午前中観光をしてレストランへ行き、そのあとマッサージという日程。
最初に行ったのは、ワット・サケットのGolden Mountain 黄金の丘。
Hさんからのメールによれば、午前中はエメラルド寺院直行のようだったので、虚を衝かれた思いであった。以下は、ウェブサイトから引用。「アユタヤ王朝(1351~1767年)から存在する古い寺院で、もともとは「ワット・サケー」と呼ばれていたが、バンコク王朝が創設された1782年に現在の「ワット・サケット」に改名された。ラーマ5世の時代に完成した高さ80メートルほどの黄金の丘「プーカオ・トーン」がそびえており、頂上にある黄金の仏塔には仏舎利が納められている。344段のらせん階段を上がると360度見渡せる回廊が広がっており、ここから眺めるバンコク市内の風景も素晴らしい。別名「ワット・プーカオ・トーン」(黄金の丘)とも言う。」
暑い中、覚悟を決めて登りかけたら、違ったようですぐに行き止まり。ガイドはよく知らなかったようだ。麓を巡ったら、入り口は一周の終点にあった。その時点で344段を上ることはもう断念していた。
次はエメラルド寺院(ワット・プラ・ケオ)へ行った。暑い中歩くのはあまり気が進まないが、ここまで来たらもう諦めるしかない。大勢の団体客が詰めかけていた。服装コード(肌の露出の多い服装やビーチサンダルの禁止)があるので注意しなければならない。
早朝に雨が降ったようで、水たまりが随所にあった。やはり水辺があるのは写真の撮り甲斐がある。運河の町なのに、寺院には池がないのはなぜだろう。
王宮にあるエメラルド寺院は、とても格式が高いそうで、観光できるのは寺院の一部だけ。また、寺院と言っても儀式に使われることがほとんどで、寺院内には僧侶がいないのが大きな特徴だそうだ。翡翠でできた仏像が祀られているのが、「エメラルド寺院」の名前の所以。そういえば、王宮の外にある広場で、前国王の葬儀が行われたとガイドが行っていた。
途中、スマホを箱の上において自撮りしようとしている3人組の若い女性がいた。スマホがうまく自立せず困っているようなので、撮影をしようかと声をかけた。聞けばトルコからだという。自分のカメラでも撮らせてもらったら、ぜひ送ってほしいという。メールアドレスを聞いてあとで送ることにした。
昼になったので、町の食堂でタイ料理。ウドンターニーで少しメニューに慣れたので、なんとなく食べたいものが食べられた。隣にマッサージ店があり、そこでフットマッサージを受けた。タイでのマッサージは久しぶりだった。台湾では、足つぼマッサージであったが、タイは普通のマッサージだ。施術をしてくれた女性が、「おかずクラブのゆいP」に似ていた。
その後、ホテルに戻りしばし休憩。夕方ようやくHさんに会え、他の2人の留学生も合流し、夕食を一緒に食べた。
夕刻、サイアムスクエアの横断橋の上で、撮影をした。やっぱり三脚が必要だ。手持ちでは、これぐらいが限度。手すりにカメラを置いているので不安定。
2020年1月21日火曜日
タイ6泊7日 第4日
第4日 1月20日月曜日
ウドンターニーでの最終日。朝はゆっくりし、ホテルで朝食を済ませた。
何と朝、ロビーで昨日の金沢の6人組グループに再会。同じホテルに泊まっていたとのこと。彼らも今日バンコクに移動するらしい。しかも帰国日も一緒。しかし、彼らは羽田から来ているので帰国便は違う。
10時半、みたびNさんのタクシーで迎えに来てもらった。空港はそう遠くないが、途中、なんと軍の基地内を通り、近道をしてくれた。何でも運転手は、兵役の経験があり、顔パスがきくそうである。仕事柄、日常的にひんぱんに近道をしているようすである。日本ではとても考えられないことである。よく見れば、その道路の通行量は多くはないが、一般の車両がまったく通らないというわけでもない。この運転手だけが持っている特権でもなさそうだ。
Nさんとは空港でお別れした。ウドンターニーからバンコクへの便でも、食事が出た。小ぶりながらほどよい味付けであった。あとで考えると格安航空便との差別化のためのサービスかと思う。
スワンナブリ空港からはタクシーでホテルへ。バンコク市内に入ると渋滞がひどく、市内に入ってホテルが近づいているのにGoogle Mapでホテルまでの距離はなかなか近づかなかった。
バンコクのホテルは、ネットで見つけて評判がよい所であったので、期待していた。入り口こそ簡素であったが、部屋はバスタブとシャワー室がそれぞれあり、なかなか豪勢。一度しか利用できなかったが、レストランも清潔で料理もよかった。妻の評価は厳しかったが。
テレビはNHKを見ることはできたが、他のチャンネルは概ね映りが悪く、ウドンターニーの方が局数も多かった。
さて、しばらくホテルで休憩したあと、午後6時にホテルロビーにディナークルーズの迎えの車がくるということで、少し早い目にロビーに行った。しばらくすると、入り口付近に座っていた男性が近づいてきて、自分のスマホの画面を見せて、You?と聞く。画面には私の名前があった。迎えのドライバーだった。誰かに似ていると思ったら、なんとなく将棋の加藤一二三九段を少し若くしたような感じだと気づいた。
乗船すると案内されたのは、船の先端の席。写真を撮るのには最高の席。すぐに食事の時間となり、出航前にたっぷり食べた。予想以上に豊富なメニューで美味しかった。珈琲を頼んだら席までちゃんと持ってきてくれた。薄暗がりのなか、よく席がわかったものだ。食事をほぼすませたころ出航し、ライトアップされた両岸の景色を堪能。同じ会社のワンダフルパール号がずっと近くを走っていたが、音楽が騒々しく、ちょっと不快。少し残念な点である。肌寒くなるかもしれないので、羽織るものがいるという注意があったが、気温はちょうどよく、風が気持ちよかった。これに申し込んで正解であった。
帰りもひふみんの車でホテルまで送ってもらった。他に二組いたが、往路とは逆に、われわれが一番先にホテルに着いた。
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